踏文

作文の練習

休み、そして走れ(「運動展3×3±0」より)

自炊、即ち一般家庭内での料理・食事という営みを、法律で禁止するか、又は台所の設営に高い税金をかけるなどして、原則やめよう。そんな無茶な、と思われるでしょうが、まあお聞きください。

今現在の日本において、外食頻度の個人差に関係なく、食事は「家で自炊が基本」として位置している。毎日外食の人でさえも、それが普通だというより自虐と罪悪感と悲壮感をもって「毎日外食生活サ」などと言う。風呂がない家は今も多くあるが、台所が全く無い家は殆どない。

履歴書の手書き信仰を笑う人も(或いは個人の偏見によれば、そういう人こそ)自らの手で作る料理は良いもの、それが基本、としている。

もし友人が「一日三回必ず地にひれ伏して神に祈りを捧げる宗教」に入信したと聞けば大変そう感あるが、冷静に考えれば一日三回食事をする方が、身一つではできない分、大変である。まして三回とも自炊(弁当)であるならば、後片付けも大変だし、そも献立を考え続けるのも至難の業。ジェンダーの問題も根強い。

挙句「一汁一菜でよいという提案」だ。それで「一汁三菜を用意せねばならない呪い」から解放した気になっている。五十歩百歩、奴隷の鎖自慢。こちとら「一」たりとも作りたくないっつーの。

一人一人が自動車を運転するより交通機関を利用した方が環境によい、というように、自炊も、たまの贅沢や気分転換には悪くないけれど、健康や環境のためにも基本は飲食店や出前を使いましょうね、としてほしい。

(実際、各家庭で調理するより環境に良いのではないか。フードロスは増えるかもしれない。が、食品廃棄と、より深刻な食品が行き渡らない問題は別だろう)

確かに現状だと毎日が外食なら栄養過多に偏り負担も大きい。が、全員毎日外食となれば健康に配慮した店も成立するだろう、多分。それに、栄養や費用に配慮し続ける自炊だって本来は困難なのだから。同様に金銭的な負担も現在よりは減るだろう。

外食が普通となったら街が賑わう(アジアでは普通のことだが)。飲食店は厳しい業態なので「脱サラしておしゃれなカフェバーやりたい」つったら、世の中を甘く見るなと罵られるのが相場だが、全員毎日外食だとまだ希望が出てくる。

僕は夜遊びが好きだが、そういえば一般的な家庭は、会社や学校から帰宅後、基本的に外へ出ることがないのだった。それでは息苦しい。平穏な家庭ならまだよいが、そうでないならばせめて、家族と過ごすにも周囲の目がある方がよい。

「食洗機導入したらQOLあがったわ〜」なんて言ってる場合じゃない。今すぐレシピを墨で塗りつぶし、冷蔵庫を窓から放り投げ、ガスコンロを叩き壊し、食器は埋めて土に還そう。自炊こそが諸悪の根源である。